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大統領の外交日程などあっという間に吹っ飛んでしまう事件がアメリカ本土で起こったのは6日午前4時半(日本時間)のことで
あった。テキサス州フォートフッド陸軍基地で乱射事件が起こったのである。警察の特殊部隊も緊急出動、あっという間に基地は銃弾の
飛び交う戦闘状態に突入し、死者13人、負傷者30人以上を出す地獄絵を現出してしまった。
この基地は5万人の兵士が駐屯し、1万7千人以上の家族が生活、イラクやアフガニスタン派兵の最大拠点の一つだ。
これだけでも驚きなのに、犯人がよりによって兵士の心のケアを担当する精神科医のハサン軍医の犯行だったというから衝撃は大きかった。
彼自身、近くアフガニスタンに派遣される予定でもあり、イラクやアフガニスタンに派兵される直前の兵士への説明会や健康診断などが
行われる施設で勤務していたという。勢い、健康診断の順番を待つ兵士が犠牲になるという目を覆う惨状を呈した。
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アフガンの出口の見えぬ泥沼の戦場はいまや「オバマ政権の墓場」とさえ言われている。
人を人と思わず、殺し合いをする戦場から生きて帰ってきても、心に深く刻み込まれるトラウマは想像を絶する。なにしろ01年以降に自殺を図った退役軍人の
数は同期間にイラクやアフガニスタンで死亡した米兵より多いのだ。
今年5月にはイラクの米軍基地で精神科での診療を命じられた兵士がその精神科医ら5人を殺害する事件も起きている。「海外の戦場で勇敢な米国人を失う
ことも悲劇なのに、米本土の陸軍基地内で兵士が銃火を浴びねばならなかったことにぞっとしている」とオバマ大統領は悲しみの談話を発表した。この
「ぞっとする」事件を引き起こした犯人が兵士の心のケアをする専門家として勤務していたとはどういうことなのか。
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心理学に「同情疲れ」という言葉があるそうだ。イラクとアフガニスタンに派遣されている兵士約18万人の一人一人のストレスは想像を絶する。繰り返す
ようだが、どんなに美化しようとも戦闘行為とは殺し合い以外のなにものでもないのだ。
兵士のケアに当たった経験のある軍医は心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ戦地帰りの兵士らと接触し、戦地の過酷さを知り尽くしているだけに兵士への
「同情疲れ」つまり二次的トラウマを起こしてしまう…と語る。ハサン軍医もまたそうした苦い体験をしていたのであろうか。
一方、ハサン軍医はヨルダン系の米国人でイスラム教徒であったことが注目されもした。FBIは昨年から今年にかけて、彼が国際テロ組織アルカイダとの
関係が指摘されているイスラム教の宗教指導者と接触していたことを把握していたともいわれる。だが捜査当局はハサン少佐の単独犯行だったとの見方を捨てては
いないようだ。
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ところで、ここでの問題は「単独」か「アルカイダ」かということではなく、トラウマの地獄絵の裏に渦巻く「オバマ政権の墓場」に目を据えることである。
つらいことの多い世界に生きているので、いやな記憶の衝撃を減らして記憶するようになる“風化”のメカニズムを、今年の初めに2度にわたって書いた
(本欄2月、3月)。
今回の地獄絵もやがて“風化”のコンベヤーに乗せられて忘れ去られていくのであろうか。年末を迎えるにあたって、あえて1年前の年初の思いを反芻
しながら、事の本質から目をそらさずに“風化”を乗り越えていきたいものである。
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