2009年3月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
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 ★心の痛む記憶を放棄するわけにはいかない!
   
 生々しい記憶や印象が年月を経るに従い、次第に薄れてゆく。この何とも度し難い「風化」という名の記憶装置―。
 これをめぐって前回はイスラエル対パレスチナの凄惨な「戦争」状態を例に考えてみた。戦争はどの戦争でもすべてそうだが、誰の記憶にも鮮烈に 刻み込まれているはずなのに、数年も経つと、もう渦中の人を除けばすぐ忘れてしまう。こうしたことを私たちは性懲りもなく繰り返してきた。

 今回はこの記憶装置を医療事故に即して考えてみたい。前回の戦争や天災でも、今回の医療事故でも、本来、つらくて嫌なものである。あの米デューク大学の 研究チームが指摘するように(前回参照)、「人間は年齢によって脳の使い方を変え、その際、年配者は若者に比べ、嫌な記憶を消すのが上手らしい」のだ。 だとするなら、年配者の脳は衰えているどころか、対象を取捨選択し、それが「捨」だと判断すれば消してしまうのが巧いらしいというのだから、ちゃっかり 引いたり押したりしているのではないか、と思うのである。つまり「風化」は経験豊かな年配者が想像力を発揮して訴え続ける勇気と気力の持続いかんにかかって いるともいえよう。この持続の方法が問題なのだ。

 その方法を具体的に教えてくれるのが、東京医大付属病院にあった(1月26日付け朝日新聞)。
 ――と注目していたら、2月初めにこの大学は「学位謝礼金」問題で批判の場にたたされた。「学位が金で買えるわけではないが、審査の後の謝礼は誤解を 与える行為」と臼井正彦学長は反省する。全くその通りだ。腹立たしい。
 そんな中で、同大学附属病院のケースをあえて紹介するのは、医療事故の対策で、最後の拠りどころになるのは人の「心」だという自覚をみせてくれたからだ。 ミスを犯す人間の限界を補うため、ひたすらIT(情報技術)を駆使して対策を立ち上げ、それに任せて終り、というのではいつまで経っても「風化」という 化けものは、のうのうと生き延びていくだけである。

 同大学附属病院3階の一室に、同病院で医療事故が相次いだ03〜04年当時の新聞記事とその上に大きな字で「NEVER FORGET!(決して、忘れるな!)」 と書いたものが貼られている。
 当時、事故を起こした「CVライン(心臓の近くにある中心静脈に栄養を送る管)」操作に対応した専用室(CVラインセンター)を04年につくったが、 医師や看護師らスタッフはこの部屋に出入りする度に、ドアに貼られたものを見て医療事故が起こった年の記憶を生々しく思い起こすことになる。
 「最終段階で患者さんの安全を再確認してほしい、その気持ちを促すため」と脳神経外科教授の三木保・センター長は言う。
 こうして事故発生率はぐんと減った。ノーモア医療事故に対決する心意気が「NEVER FORGET!」という記憶装置の起動によって力強く甦っている。チャンスは ピンチの顔をしてやってくる。医療事故克服もまさにピンチの顔をしてやってくるのだ。これから逃げずにチャンスにしょうとしている東京医大付属病院の決意を 応援したい。
 これぞまさしく化けもの「風化」を退治する雄叫びであると思われるのだ。それは雄弁家の世評高いオバマ大統領の言葉、子どもまで口にするようになった 言葉を借りて言ってしまえば、「YES, WE CAN!」と聞こえてくる
というものである。

 
 
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