2015年2月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
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 ★インフォームド・チョイス

 私たちが病気や怪我で病院を訪れるとき、精神的にはいったいどんな状態だろうか。患者本人は今まさに病気や怪我で苦しんでいる最中で あり、この先自分がどうなってしまうのかという不安や焦燥感でいっぱいであるに違いない。そんな状態で医学の難しい話を聞き治療方針に同意する かどうかを判断しなければならないのである。患者の判断力が充分でない子供の場合や認知症のある高齢者であれば付き添っている親や家族などが その判断を迫られることになる。

 インフォームド・コンセントやセルフ・ディターミネーション(自己決定権)という言葉は1900年初頭にニューヨークで起きた医療裁判の過程で生まれた言葉 らしいが、いかにも契約社会らしく互いの責任を押し付けあっているような感じがして、医師と患者の相互理解には程遠いような印象を受ける。医者からすれば 常識的なことと判断できても、患者側には未知の事柄が多い。専門用語を出来るだけ使わずに難解な体の仕組みや医学の基礎を写真や図、模型などを駆使して短時間 で説明しなければならない。その一方で、患者側は不安や苦痛に耐えながらそれらを理解しなければならないという状況に立たされるのである。

 現在ではこのインフォームド・コンセントをさらに一歩進めて、治療の決定権は患者側にあるという考え方からインフォームド・チョイス(説明を受けた上での 選択)が求められることがある。医師の判断に任せるのではなく患者自身の希望と判断で治療法を選択し自己決定権を行使するというのがインフォームド・チョイス である。がんなどの難治性の病気で治療法を決定しなければならないときなどにしばしば取り入れられる。

 自分の体は自分のものだから、それについてのすべての決定権は自分に帰属するとした時、もしも自分が突然意識を失って生命の危機にさらされ、もはや意思の 確認が出来ない状態に陥ろうとも「人工呼吸器の装着はしないでほしい」という明確な意思表示を日ごろから示していれば、それはそれで尊重されるべきであると 考えるのである。積極的な救命はせず自然死の方が自分らしいと考える人もいるかもしれない。これは「いのち」への信仰につながる小欄の一貫した考えなのだが、 ぜひ読者諸兄姉のご批判を賜りたいと思う。

 以上のように医者側の問題点もあれば、患者側の問題点も未だ解決できていないのが現状である。医者と患者が対等な立場で歩み寄り、話し合い、お互いに尊敬の 念を持って結論を導き出せるような環境づくりを一日も早く築きたいと願うばかりである。

 
 
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