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かつて春日大社の宮司を務められた葉室頼昭さんは、神職に就く前は優れた形成外科医でもあった。医者が宮司になったという
だけでも度肝を抜かれる身の処し方だが、葉室さんはこれを「神様のお導きによるもの」だという(<神道>のこころ:葉室頼昭著・春秋社)。
昭和28年大阪大学医学部を卒業。上唇が縦に裂けた状態で生まれてきた赤ちゃんを本来の機能と顔かたちになるように7時間もかけて
丁寧な手術をする葉室さんは、口唇裂手術の草分け的存在であった。
「人間の顔は神様の造られた最高の作品」というのが葉室さんの考えで、怪我や手術をすると傷が残るのは当たり前というのが外科の一般常識であったのに対し、
葉室さんは「なぜ傷が治るのか」ということを追求し続けた。そして、胎児の段階では人間のからだは傷を残さないようにできていることに着目し、さらに研究を
続けたが、どんなに一生懸命手術しても、鼻の丸みや口角の微妙な形などは人工的にはとても造ることはできない。どうしても不自然さが残るのである。だから
自然なものと比べると手術で元に戻せるのはせいぜい8割くらいで、それ以上は人間の力ではどうにもできない。自然の造詣には及ばないという思いに至った。
一方で、これだけひどい奇形なのだから、ここまで回復したら充分ではないかと考える医者もいる。しかし、それは医者が考えているだけのことで患者さんは
ただ普通の人と同じ顔になりたいという、ごくあたりまえの願いを持っている。そのあたりまえの希望に医者が応えられないでいるだけであると葉室さんは考えた
ようだ。このような患者さんの希望に応えるためには人間の力による手術だけでは不十分で、神さまのお導きによる手術でもしない限り無理だと思うようになり、
そのときから「無我の手術」ができるように念じて手術室に入るようになったという。
「私が医者として患者を治すという考えを一切捨て、我欲の手術をやめよう。神さまのお導きによって手術させていただく。そう祈って手術室に入るように
なった」のだという。それでも無我の手術なんてなかなか出来るものではない。葉室さんは普通2時間程の手術を7時間かけて丁寧にやる。7時間というのは
赤ちゃんが麻酔に耐えられるギリギリの時間。これ以上は赤ちゃんが危ない。だけどそこまではやろうと…。
最初は「神さまのお導きでさせていただきます」と、手術を始める。しかし、2時間、3時間と経ってくるとくたびれてくる。そこで最後は「我の手術」になって
しまう。
そうこうしているうちに葉室さんも還暦を過ぎ、視力も体力も衰えはじめてきた。若い頃は自分の体力で手術しようとしていたが、もうそれもできない。
そんなある日、とうとう最初から最後まで無我の境地で手術ができた。その結果が、よくもこんなにきれいになるものかというほどの成功だったという。医師
とはいえ人間の体がもつ“自然”に逆らってはいけない。神さまのお導きによる手術とは、医者としての我欲を捨てた無我の境地での手術だったのである。
葉室家はもともと天皇家の神事に携わった家柄だった。藤原高藤の系統で参議為房の次男権中納言謙隆を始祖とする。その孫である光頼が山城国葛野郡葉室の地に
別荘を営んだところから、これを家名とした。医師から宮司へと転身したのは、葉室さんの言う「見えないものの力」が働いたのかもしれない。
葉室さんは、まさに神さまのお導きで神職の道へと歩むことになったのだろう。大阪国学院の通信教育部で神主の勉強をし、平成3年には神職最高階位の明階を
取得、藤原氏ゆかりの枚岡神社宮司を経て平成6年、春日大社の宮司となった。そして平成20年に春日大社宮司を辞したその翌年、葉室さんは風にさらわれるよう
に幽明境を異にする。なんといったらよいか、その生き方はまさに神がかり的である。
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