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夜、床についてもすぐに眠れるわけではないのに気がつくといつの間にか眠ってしまっている。悔しいことにそれを自覚するのは
朝目覚めたときで、眠りに堕ちたその瞬間のことはほとんど何も思い出すことができない。目覚めのときは、朝方に見た夢や何かの物音で目
を覚ましたときに目覚める直前のことを何となく思い出すことができるが、意識が戻る過程の記憶は漠然としたものでしかない。
小学生のころ、夏休みに泊りがけで遊びに行った友達の家で眠りに落ちる瞬間を互いに観察しようと持ちかけたことがあった。可笑しなことを考えるものだと
今となっては我が事ながら呆れてしまうが、その夜は部屋に布団を並べて横になり、当時夢中になっていた怪獣映画など他愛のないおしゃべりを延々とした記憶が
ある。結局どんな風に眠りにつくのかという観察会は、いつしか睡魔に襲われ会話にならないほど意味不明な言葉を発したかと思えば、ついには返答もできなく
なり朦朧として、お互いその瞬間を見届けることなく深い眠りに落ちてしまった。こうしてついに眠りに落ちる瞬間の観察は失敗に終わった。
眠っている間、意識は何処へ行ってしまうのか。目覚めとともに戻ってくる自分の意識はいったい何処からやって来るのか。それがとてつもなく不思議に思えた
のである。私たちは眠ることによって毎日、意識の消失と覚醒をくりかえしている。しかしそれが何のためなのか、脳にとってどんな意味があるのか実に興味深い
ところだ。
さてもう一つ、人工的に意識を消失させる方法がある。手術で使う全身麻酔である。手術のための全身麻酔は次の4つの要素を満足させなければならない。
@無痛A意識の消失B筋弛緩C患者にとって望ましくない有害反射が生じないこと。これらすべて揃わないと安全な全身麻酔は行えない。ところが、全身麻酔が
どのようにして意識を消失させるのかはまだ良くわかっていないらしい。
近年、細胞膜に水だけを通過させるアクアポリンという細胞膜の穴(チャネル)が存在することが証明され、発見者がノーベル化学賞を受賞した。どうやら
「全身麻酔薬は脳の中で水分子のクラスター形成を安定化させ結晶水和物というもうひとつの構造物を獲得することによって、意識を操作する現象を引き起こす」
という中田力教授(新潟大学統合脳機能研究センター長)が提唱する説が説得力を増してきたようだ。
眠りから覚めて自分の意識を確認する第一歩は、自分が自分であるという自覚と眠る前までの記憶に支えられているようである。このことを痛切に感じたのは
94歳で死んだ母親が認知症を患い始めたときであった。母は直近の記憶がなくなるようになってひどく混乱した。此処はどこで、自分は何をしてきたのか。ありと
あらゆる記憶に連続性が見出せなくなったようである。さらに症状が進むと周囲の人間はおろか自分が一体誰なのかもおぼつかなくなったのである。記憶を失うと
いうことがいかに残酷なことか、このときしみじみ感じた。母親は晩年、全身麻酔をして手術を受けたが今思い返すとそのころから一気に認知症の症状が進んだ
ようにも思う。
この原稿をまとめていたとき、たまたまNHKの番組(9月14日放送)で作家の立花隆さんの「死ぬとき心はどうなるか」という興味深い放送を見た。私たちは心の
どこかに「人間は死んだらどうなるんだ?」という漠然とした恐れを抱いているのかも知れない。しかし、今夜も眠りに
つく瞬間は自覚できないだろうし、もしも目覚めなければそれが「死」なのだから、何も恐れることはないのである。
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