2013年7月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
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 ★鎮魂と希望の立ち姿に災害の記憶を刻みたい
   

        < 1本の希望の松やうららけし >

 新聞の俳壇投稿欄に掲載(平成23年4月)された句である。「うららけし」とは「春の日が明るく照り渡り、すべて穏やかに美しく見えること」をいう。

        < 津波受けただ1本の松の木が立ちて残れり高田松原 >

 これは同じ日の歌壇投稿欄に掲載された一首だが、この時から1年がたって、

        < 包帯にまかれて最期の春迎ふ高田松原の1本松は > 

 という歌が平成24年4月に掲載された。

 高さ13メートルを超す巨大な津波は、かつての国の名勝、陸前高田の7万本の松原を一挙になぎ倒していった。そして残された荒涼とした 風景の中にすっくと立つ「奇跡の1本松」が訪れる人々に勇気と感動を与えてきた。これは是非残してほしい、残したいという声は高くなり、 今日にいたっている。そしてこの7月3日に復元工事の完成式が開かれた。

 こうして、枯死した「1本松」は保存のために切り倒されてから約9か月の復元工事が終わり、美しい立ち姿をよみがえらせたのであった。
 おなじ岩手県の遠野市から家族で訪れた親子は「なにもないあたりの風景に驚いた。この場所に立つと、1本松は残すべきものだな、と感じました」と言う。 そして約300年前に私財を投じてこの海岸一帯に何万本もの松を植えた先祖をもつ元高校教師の松坂泰盛さん(68)は新聞のインタビューにこたえて、言った。 「私にとってもあの立ち姿は心の支えです」。

 だが一方で、次のような声も人々の耳をたたいてやまない。復元した1本松は中がくりぬかれ、幹の表面だけがオリジナルで、根も生えておらず、枝葉の部分は レプリカである。そんな状態のものを、1億円を超す費用で復元することに、どんな意味があるのか。「いま、死んだ松に金をかけている場合か」の声も重くのし かかってくる。「まだ行方不明のひとだって、沢山いるんだ」という声も聞こえてくる。こうした声をじっと自分の胸にうけとめようとしている人たちもまた被害者 であることを思う。

 彼らは「1本松」の復活を軽々しく主張したり、計画したりして、お祭り騒ぎをしてきたわけではない。ここで救われるのは、復元費用はすべて、募金で賄なわ れてきたことだ。7月1日現在、国の内外から3286件、1億6298万円が集まり、目標の1億5千万円を突破した。
 私たちはいまここで、改めて国の予算から支出される復興予算を注視したい。
 結論から先にいってしまえば、「復興予算は9割使っちゃつた」と言った始末なのだ。復興予算は東日本大震災に使うために一般予算とは別に設けている予算の はずだ。それがたとえば、2000億円がついた雇用対策事業で約1000億円が被災地以外でズサンな使われ方をしているのである。
 復興予算の流用という下劣極まりない“食い散らし族”のやり方に対して、1本松の立ち姿はそうしたものを無言の裡に批判してやまないものになっているので ある。
 復興時の視界をさびしくしてはいけない。「奇跡の1本松」はいつまでも美しいたち姿をよみがえらせていてほしいと思う。

 
 
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