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その日は、ついに来た――という書き出しのニュースを紹介するところから書き始める。その日とは、将棋のプロとコンピュータ
ーソフトとの対戦が1勝3敗1分けでプロの棋士がついに負けてしまった(「電王戦」)日である。振り返ってみれば、チェスの王者が
コンピューターに負けたのは16年前だった。そして今年は将棋が負けた年となった。
人間対コンピューターソフト(ロボットなど)という刺激的な構図の結果を新聞、テレビは一斉にニュースとして取り上げ、インターネット
動画サイト「ニコニコ生放送」で中継した。そして全5局でのべ200万人を超える人々が観戦したという。
こうしてロボットなどがいよいよ人間の仕事の領域に大きく踏み込んできた事実をめぐって、将来、人の仕事の多くがロボットなどの操作による機械に置き
換えられて行くことが、展望されてきたのである。今改めて「コンピューター化」とか「機械化」などといった言葉ではとらえられない次元にきているのだ。
だからといって、ロボット対人間の“死闘”を眺めやって、西部劇もどきの興奮を求めているわけではない。
現実の世界を眺めやると、特に医療にたずさわるケア人材の不足は深刻になるばかりなのだ。看護職はなんと2025年には最大20万人が不足するというのだ。
こうしたケア人材の不足を補うためにコンピューターの活用がクローズアップされ、コンピューターが勝負に勝って人間の領域に大きく踏み込んできたのは
事実だ。それこそ、その日も今ついにきたのである。これを活用しない手はない。
看護師がやらなくても補助者やロボットなどに任せられる業務は多い。そうしたものを看護師の業務から減らしていき、その分、看護師には専門性を発揮して
もらう。これこそ離職防止、ひいては人手不足解消の一端をになうことになる。そうした時のロボットの役割は大きいといわねばならない。
こうして、ロボットなどの働きの影響が波及して「雇用が心配だ…」といった、まるで見当違いの呟きが聞こえ始めているのも確かだが、ここではロボットは
私たちの仕事仲間なのである。が、同時にライバルでもあることを自覚しなければなるまい。
コンピューターにはできない人間味にあふれた仕事があるのだ。患者に声をかけ、患者の心を慰めることは、いくらデータの分析にスピードがあっても簡単には
いかないことも確かだ。
「言葉は治療の大切な武器である」「医療者の言葉次第で治療の日々は天国にも地獄にもなる」(鎌田実・諏訪中央病院名誉院長)のである。筆者の知り合いの
看護師は幼稚園の頃に、入院した時、看護師さんがずっと手を握ってくれたその温もりが忘れられず、看護師をめざしたのだという。こうした状況はコンピューター
が代わって担おうとしてもむずかしいものだ。
彼女はさらに、こうも言う。先輩看護師の腕を借りて採血の練習をしたり血圧測定の練習をしたり…。その一つ一つの行為が患者の生命に直結しているのだ。
病(やまい)に苦しむ患者の心に寄添うというこうした特殊な職業の世界は厳しい。離職率も高くなり、これが看護師不足の決定的な原因のひとつにもなって
いるのだ。
コンピューターとの共生社会の実現を積極的に推進し、実現しなければ道は開けない。社会は険しい道を私たちに提示しているのだ。これをどう料理するかで、
わたしたち人間にとって、コンピューターは仲間にもなれば、ライバルにもなるのである。
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