2013年3月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
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 ★自然死こそ…終わりよければすべてよし
   

  先月は「終(つい)の住処(すみか)」を求めてさ迷う人たちに温かい目をむけて直視しながら逝った岡部医師のエピソードを 紹介した。岡部医師は仙台で大学の研究分野から開業医に転じた医師だった。
 今月も、人が最期をどう迎えるかを確かな眼差で観て、自己の医療哲学を確立し、実践する2人の医師を紹介したい(注・2人の医師の言動はいずれも朝日新聞 記事を参照)。
 その1人は兵庫県尼崎市の長尾クリニック院長の長尾和宏医師である。その医療哲学は「今の医師や患者は穏やかに自然に死が訪れる平穏死が可能だと信じて いません。延命にばかり力をいれています。だが、実際には可能なのです。僕は何人もそうやって、看とってきました」という信念に貫かれている。
 長尾医師は「尊厳死」以上に「平穏死」を、との主張を『町医者だから言いたい!』という絶妙のタイトルのコラムを千回を超えて書き続けてもいる。その間、 500人以上の患者を看とってきた。
 もう1人は、京都の老人ホーム(同和園)の付属診療所の所長をしている中村仁一医師だ。その医療哲学には、「私はこの施設で自然死を迎えた方を250人以上 看てきましたが、1人も苦しんだ方はいません」という貴重な体験が貫かれている。そして「日本人は医療に過大な期待を寄せすぎである」と断言、その言葉には 「医療は老いと死に無力で、なにもできません」という厳しい死生観が漂っている。
 以上紹介した両医師に先月の岡部医師を加えて3人に共通しているのは、自宅で最期を迎えたいと望んでいる患者のために、その患者の家で看とってやりたいと いう果敢な診療の実践であり、どんなことがあっても、「延命ばかりに力を入れ、挙句の果てに、患者を”漂流“させてしまうようなことは、あってはならない」 という確固とした医療哲学である。

 終末期医療は病院の都合や家族の思惑に左右されずに、人間らしく安らかに自然な死を迎える権利を保障されなければならないのだ。私たちはだれもが安らかな 表情で枯れるような平穏な死を迎えねばなるまい。幸せな人生の終幕とは何かということに、3人の医師は共に熱い思いを馳せる。
 長尾医師は「日本では本人の意思で安らかに死ぬ権利が保障されていない。これをなんとかしたい」と言う。そして中村医師も「自然死で苦しんだ人はいない」 との体験と信念を通じて自らの医療哲学を貫く。
 安らかに・平穏に・枯れていくように…死を迎える。これが「自然死」である。「尊厳死」という言葉に圧倒されてはならない。自宅での「平穏死」あるいは 「自然死」こそ“終(つい)のメインロード”にほかなるまい。

 
 
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