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「高齢者医療難民」という言葉が人々の口にのぼって大分経つ。高齢者が人間らしく暮らすなど、絵に描いた餅にすぎないのが
現実だ。 いま私たちは、1人暮らしの高齢者が体調を崩しても病院は満床で入院できず、一時的に預かってくれる施設さえも懸命になって
探さねばならない。だからやっと入居できたとしても、彼は数カ月でまた“難民”となって“漂流”し、新たな施設を探すピンチに立たされ
てしまう。
こうした漂流の果てに、高齢者がかつてホームレスの臨時保護施設だった通称“無料低額宿泊所”に自治体からあっせんされてやってくる。しかしここもまた、
数か月しか居れず、次の宿泊所をさがしてもらわなければならない。落ち着いているヒマなどないのだ。難民となってしまった体の不自由な老人が施設の人に
車イスを押してもらいながら次の施設に送り込まれて行く。そうした難民老人の切なくも酷薄な表情がテレビ映像に映し出されるのに接すると、自分の“死に場所”
を決められずに、他人の世話になって漂流する老人の表情には深い悲しみが漂って消えては行かない。
「終(つい)のすみか」を求めてさ迷う人たちを強い心をもって直視して静かに逝った医師がいた。東北大医学部出身の岡部医師である。大学で肺がんの研究を
し、勤務医を経て、1997 年に開業した。自分の家で最期を迎えたい患者の願いをかなえるために、体と心の痛みを和らげてやる医院を作ったのだ。そして自分
(患者)の家で最期を迎えたい患者の願いをかなえるため、不必要な延命治療はせず、なんと3千人近くの患者を、患者の家で看取った。この体験から「臨床宗教師」
の構想が生まれ、そうした宗教師養成のための講座が昨年4月、東北大に設けられた。
こうした「孤独死」の状況は「寂しくて可哀相な見捨てられた死」というイメージが強い。だから人々は「孤独死」という言葉を嫌い、「自然死」「平穏死」
「満足死」などと柔らかい表現に変えてもらいたいと思う。岡部医師はこうした人に手を差し伸べたのである。
折しも、安部政権は医療や介護などの課題を話し合う社会保障国民会議を1月21日、初めて開いた。席上、麻生副総理は終末医療に触れる中で、こんなとんでも
ないことを発言した。のちにこれは、議事録から削除されることになったが、口が滑ったでは済まされぬものだった。
終末期の患者を「チューブの人間」と表現し、「そういうものはして貰う必要はない。さっさと死ぬから」と遺書を書いて渡してある。「いい加減死にてえなあ
と思っても『とにかく生きられますから』なんて生かされたんじゃ、かなわない」などなど―。
私たちはこのような「大臣発言」に唖然としていてはダメだ。家も身寄りもなく、介護が必要で所得も低い年寄りたちを、どこでどうやって支えるか、これが
問題なのだ。 そうした施設は絶対的に不足している。低所得の人でも入所できる施設は特別養護老人ホームしかない。だがこの「特養」は膨大な数の入所待機者に
お手上げなのだ。
こうした、住まいの安全網からこぼれ落ちていくお年寄りが無届け施設に頼るしか道はないのか。「終(つい)のすみか」を求めてかぎりない苦悩を背負いながら、
彷徨(さまよ)い続けていくだけなのか。背筋が寒くなる。
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