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「救急センターは救命という役割に加え、治療から撤退して高齢者をみとるという役割も担うことになってきた」と日本救急医学会
の終末期医療担当理事である横田裕行・日本医大教授は言う。つまり、自分の最期を延命治療はせずに、尊厳死で迎えたいと思う人に対応した
医療である。
だが一方で、たとえば滋賀県守山市で10月にあったお年寄りの集い(以下、実例は朝日新聞報道から再録)では「ぴんぴんころり」が理想といったことが、
今では難しい時代になってきた、という声もあがっているようだ。そんなわけで、病気から回復する見込みのない終末期に、どのような治療やケアを受けたいのか、
事前に自分で決めておきたいという人がふえているのは当然ともいえよう。
死生観は多様である。納得のいく最期を迎えるには、早くから家族や主治医と話しをしておくことが大事であろう。他の人に相談することに逡巡してはだめだ。
「日本では本人の意思で安らかに死ぬ権利が保障されていない。これを何とかしたい」と兵庫県尼崎市でクリニックを開業し、600人以上の患者を自宅でみとって
きた長尾和宏さん(日本尊厳死協会副理事長)は言う。そして今では「延命治療をやめたい」という相談が毎日のように寄せられているという。
団塊の世代があと10年で後期高齢者となる。やがて彼らも年老いて自然に死ぬにも法律が必要になり、延命治療中止の際のルール作りが求められてくる。それなの
に、問題を先送りする施策ばかりが目につくのは残念だ。
かつては医師も家族も、人工呼吸器などは着けて当たり前だと思っていた。だが最近は医師も家族も「自分がしてほしくないことはしない」「過剰な医療は不要」
という考えがひろまってきた。高齢社会で死が身近になり延命中止の事実を正直に公表できるようになったことも大きな変化といえよう。
元気なうちに意思を伝えることが大切なのだ。島根大学病院はこの春、終末期の医療について元気な人も対象に、事前要望書の登録を始めたが、要望書を登録した
人たちから「こんな書類を探していた」「作成してすがすがしい気持ちになった」などの感想が寄せられているという。ACP =アドバンス・ケア・プランニング
(「患者の意思決定支援計画」と訳される)の導入による「尊厳死」の実現である。
横浜・青葉区にある介護老人施設「青葉の丘」の入所者ファイルには、もしもの時の希望を示すシールが貼ってあるという。それは「星」マーク(積極的な治療を
希望しない)、「救急車」マーク(病院に運んで蘇生してほしい)、「お家」マーク(最期を家でむかえたい)の3種類だ。将来は名前や持病を聞くのと同じよう
に、最期はどんなケアを望むかを入所者に聞き、マークの整備を充実させるのが当然といった時代がくるであろう、と思われる。
筆者は2011年(昨年)2月の本欄で、見事な天寿をまっとうした人を思い起こしていたことを書いた。一人は女優の高峰秀子であり、もう一人は漂泊の俳人、
種田山頭火であった。高峰の『追想録』や山頭火の『日記』を開くと、「さらりとシャバに別れを告げ」(高峰)、「ころり往生」(山頭火)して逝った人の心打つ
尊厳死の文章が迫ってくる。これこそ今年の本欄の締めくくりにふさわしいものであり、超高齢社会を豊かに生き抜くことにほかならないと感じられるのである。
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