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日本の原風景を歌った唱歌「故郷(ふるさと)=作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一」は、小学校で誰もが口ずさんできたなつかしい
歌だ。
うさぎ追いしかの山 小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
この歌を筆者はつい最近、全く思いもかけずにテレビ画面から流れてくるのを耳にして「え!?」と思った。
3・11東日本大震災の被災三県(岩手、宮城、福島)のがれきの山が復興の足かせになっているのはご承知のとおりである。だからといって、地方自治体が
これを相応に分担するというのは大変な重荷になる。
「自分のまちが、がれきで汚されたのではやりきれない」「私たちの故郷を汚さないでほしい」という声があがる。がれき受け入れを前向きに検討しようと
すると、必ずといっていい反対の力が加わる。私が見ていたテレビ画面は、がれき搬入に反対する市民デモだったのだ。
私は複雑な心境でそのニュース画面を見続けていた──と、デモ隊の一角から歌が流れてきた。その歌はなんと「うさぎ追いしかの山…」であった。この
「故郷」がいわばデモの“シュプレヒコール”となって胸に突き刺さってくるではないか。
東日本大震災の特徴はなんといっても原発事故だが、それと表裏一体で、被災地から全国へ避難していった人たちの多いことだ。福島県の避難所は1年経って
ようやくすべて解消されたと報じられているが、南相馬市は震災前7万1千人が住んでいたのに、2万6千500人がまだ戻ってこれないでいる。そうかと思うと、
たとえば宮城県では通常の一般ごみの19年分、約1,569万トンのがれきが山積みになっているのである。自分たちの県のがれきは自分たちの手で処理したいと
思っても手にあまるのだ。さすがに、原発事故のあった福島県のがれきについては広域処理の対象にはせず、すべて県内で処分することになっている。この事に
福島県民は誰も反対していない。
こんな状況を背負って、がれき処理の協力を求めて全国各地を回っている岩手県の担当者は「放射能物質を拡散する『テロリスト』と言われたこともある」と
嘆く(朝日新聞2月24日付)。だからその担当者は被災した県民のこんな歌「大津波 逃がれし人の避難所に 百余の靴の整然と並ぶ」を思い起こしながらがん
ばっているのではないか。
デモをする人たちも、被災者たちも、ともにわが“故郷”を愛してやまない。そしていまだに故郷を放棄していなければならない原発被災者は涙を押えて、
そっと「故郷」の歌を口ずさむ。
いかにいます父母 つつがなしや友垣(ともがき)
雨に風につけても 思いいづる故郷
ところが一方で、原発の稼働再開を画策する“原子力村”の住人たちは、いま私たちの苦しみをよそに何をしているのだろうか。被災者はこうも詠う。「三月
に 安全唱えし識者らは いずこに消えしか泡(あぶく)のごとく」。
こんなことを断じて許しておいてはならない。日本の原風景は原子力という直接(放射能汚染)、間接(風評被害)の悪魔の所業に荒らされ放題なのだ。
3月1日の報道によれば、神奈川県知事らが呼びかけて、がれきの広域処理に自治体連携の動きも出てきたようである。徐々に問題解決へ歩んでいこうとして
いるのは認める。とはいえ、あの3・11から1年が経つというのに、復興事業は遅々として進まない。今こそ私たちは心の底から声を合わせて「故郷」を歌いたい。
志をはたして いつの日にか帰らん
山はあをき故郷 水は清き故郷
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