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臨床医や看護師の絶対的な不足がその原因の一つとなっている「医療難民」の悲劇は図らずも東日本大震災で痛烈に知らされてきた。
厚労省の調査(2010年)によれば病院求人に対して医師数は何と18000人足りないという。今年の医学部入学定員は昨年より68人増やし、過去最高の8991人にする
ことになったが、焼け石に水だ。
こうした数字の背後には構造的な課題が二つ横たわっている。一つは医学部定員の約4割を占める私大医学部の学費があまりにも高すぎるということだ。いかに
優秀でもサラリーマンの子弟では、まず進学は出来ない。こうしたいわば「参入障壁」によって人材はやがて劣化する。もう一つは“神の手”を持つ医師の手術と
新米医師のそれが同一料金で、スキルは評価されないという歪んだ医療の現実。これでは医療サービスの水準上昇など無理だ。
そうしたこと以上に問題なのは、「ケア人材」の中心にある看護師不足である。看護や介護といった、いわゆるケア人材の分野ほど人手不足に苦しむ分野はない。
日本だけでなく欧米でもこうしたケア人材不足に悩み、ケア人材獲得競争がすでに起こっている。人員不足には仕事の厳しい内容も反映している。東日本大震災の
被災地で働く看護師のストレス調査(筑波大)によれば、3分の1が「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」が懸念され、半数以上が離職を考えたことがあるという
のだ。
こうした状況のなかで「特定看護師」が登場してくる。これはケア人材の新しい職域開拓であり、医師の事前の指示を前提に、自分の判断で一部の医療行為が
出来るようになるというものだ。その資格は国家試験に合格すれば認証される。厚労省は早ければ今年度中に法案を国会に提出したいという。とりあえず現在は
大学院などで学んだ20人の特定看護師がモデル事業の一環として全国で活躍している。
すでにアメリカでは医師の指示なしでも、医療行為の一部を受け持てる「診療看護師(NP=ナースプラクティショナー(Nurse Practitioner)」という職域が
確立されており、1960年代から養成され、現在有資格者は約15万人もいるという。
いまや臨床医だけでは医療行為をまっとうすることは出来ない時代になった。日進月歩の技術と煩雑多岐にわたる仕事のなかで臨床医の質を保つには看護師の
出番を少しでも増やすべきではないか。アメリカの診療看護師はまさにそれなのだ。ところが、日本では実に半世紀遅れでやっとこうした看護師の必要性に気付き
始めた。日本でいう特定看護師(これはあまり的確な表示ではない。名は体を現すというが、呼び名にひと工夫ほしい)はアメリカでいう診療看護師のことである。
こうした動きにたいして、一部の医師の間からは「新しい階層ができて混乱するのではないか」という反対の声があがっている。だがこれはその人たちのエゴで
はないか。いくら正規の医学コースを履修し、国家試験に合格しても医師としての資質に欠ける人もいる。
いくら知識を身につけているからといって、生死を分ける医療に直面した時、あまり役にたたない医師では困るのである。こうした事情は看護師の場合も同じだ。
いくら資格をもっていても自ら単なる“下働き”にあまんじてしまうような看護師は邪魔になるだけだ。
医療に敢然と向き合う看護師はきっと担当医の血の通った手足となってチームワークのとれる貴重なケア人材となるであろう。そして、こうした人たちは、医師や
看護師の絶対的不足というシワ寄せのなかにあって、医療事故を防ぎ、医療難民の苦痛を和らげるための対策の大きな柱のひとつとなるのだ。
看護師ができる医療の範囲はこれまで曖昧だった。これからは特定看護師制度の導入による線引きの確定によって、安全な医療行為の範囲は広がってゆく。
特定看護師への期待は大きいと言わねばならない。
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