2011年12月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
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 ★心の底から「おめでとう」と言える年にしたい
   

 東日本大震災の被災地では印刷所の年賀状受注が例年にくらべて約3割減り、喪中はがきが4倍ほどに増えたという。そして 年賀状も感謝と復興への決意表明のはがきが目立ち、明けまして「おめでとう」ではなく「ありがとう」なのである。

 岩手県では「三陸復興」の文字を入れた年賀状を作った。5種類あり、その中の一つが陸前高田市の復興のシンボルだった高田松原の一本松の写真を印刷した ものだった。あの大津波で7万本余りの松林の中で生き残った一本松だ。が、塩水禍に直面し、瀕死の状態となり、ついに養生を断念せざるをえない状態になって しまった。土地の人の無念は察するにあまりある。

 これと折り重なるように、福島県では福島第一原発事故収束に陣頭指揮をとっていた吉田昌郎所長が病に倒れ、入院・退任するという衝撃的な事実を知らなけ ればならなかった。 福島県民にとって、浜通り(福島県太平洋側)に愛着をもつ所長の退任は無念であったろう。病気は年1回の定期健診でみつかり、治療の ため11月24日から入院していた。それなのに東電は所長の病気は公表できないと、「急性被曝」を否定し、「被曝線量」も明らかにしなかった。一事が万事なのだ。 被災者は誰一人としてこの発表を了とする人はいなかった。復旧作業にあたったことによる「急性被曝」が体調不良の原因ではないのかとの憶測が流れるのも当然 であった。誤解をおそれた吉田所長は自ら希望し、10日後に自分の病気が「食道がん」であると発表した。

 こうした深い闇の中で、被災地の人たちは放射線で汚染された故里を除染する孤独の戦いを強いられているのだ。年末の参院復興特別委員会で、自主避難した 女性が参考人として呼ばれた時、40人の委員にこう問い掛けた。「今ここにいる皆さんに、福島の人が見えていますか?」。魂のうめきが静かに沁みる一幕だった。

 いま深い闇といったが、誠に残念な事だが、放射能を消してしまう実用的な技術はいまのところ何もないのだ。放射能は通常の毒のように、中和する事が出来ず、 その量が減るのを待つしかないのである。放射能が半分になる「半減期」はヨウ素が8日、セシウム137は約30年、プルトニウム239となると2万4000年なのである。

 こうみてくると、絶望以外の何物でもないということになる。だが、今回の原発事故の最大の除染ターゲットはセシウム137といわれ、これはなんと、花粉用 マスクを使用すると、そのほぼ全てを吸い込まずにすむことが確認されている(東大アイソトープ総合センター)。だからといって朝から晩まで一日中マスクをして いるわけにはいかないが、すくなくとも「ホットスポット」での除染作業には強力な助っ人になるはずだ。

 こうした観察・研究は放射能処理のひとつの足がかりになるわけで、これは同時に放射線治療の“風評被害”防止へと?がっていく。

 たとえば、「前立腺がん調査」(阪大など)は患者の半数が照射不足であると、放射能に及び腰になってしまう欠点を指摘している。あるいはまた、「白血病患者 が昨年の約7倍に急増している」という“風評被害”情報がインターネットのツイッターなどで広まっているという。医師会は全面否定し、専門家も「患者が7倍 に増えるほど高い線量はとても考えられない」(吉永信治・放射線医学総合研究所)という。

 ところで、一年を総括する手がかりの一つに、「流行語大賞」がある。2年目にはいった大震災だが、2年目は放射能汚染から子どもや妊婦を護る除染が中心課題 となろう。これには、1兆円以上の国家予算がつぎこまれることでもある。1年目は「帰宅難民」や「絆」や「風評被害」がノミネートされたが、今度は 「風評被害」などは姿を消して(克服されて)、「除染」がノミネートされるほどの効果をあげることを願っている。そうなって初めて、被災民は故里でも、 お正月を「おめでとう」と祝い合えるようになるだろう。

 
 
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