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東日本大震災の被災地で活躍してきた医療支援チームの撤退が進みつつある。宮城県内では
ピーク時には120チームが活動してきたが、7月上旬には12〜13チームに減少した。
宮城県医療整備課は「医療の自立のため、支援チームの撤退は必要。震災前から医療過疎が問題になっていた地域でもあり、
長期的な地域医療のあり方を検討する必要はあるが、今はとにかく医療の空白が生まれないようにしたい」と医療関係者は奔走
している。常勤医ゼロの地域の不安が改めて高まっており、これに応える支援を絶やしてはならない。
医療の空白が生まれないようにするためには、人的パワーと共に必要不可欠なのが電気である。お金さえ払えば電気はいくら
でも使える。そんな価値観は、あの3月11日を境に一挙に崩れてしまった。電力不足への様々な懸念は現実的なものとして、
私たちの生活をかきまわそうとしている。
このような情況のなかで、「節電の時代」から電気を自分で作る「創電の時代」がやってこようとしている。と同時に福島
原発の事故を契機に「電力の選択」がはじめて日本社会の大きな論点となってきた。
医療機器の高度化が進み、特に高度医療といわれる分野では電力は不可欠である。だから停電は患者の命にかかわる問題と
なってくる。
特に自宅で人工呼吸器や酸素濃縮装置を使う難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者にとっては、まさに電気は命綱である。
それにCTや磁気共鳴画像装置(MRI)などは、一度電源を落とすと再起動には1時間以上もかかってしまうから予想外の
トラブルが生じる危険性を帯びているという始末の悪さだ。
今や常識となってしまった次のような恐ろしい資料を私たちは共有してしまった。
原発の廃炉には30年以上かかり、その費用は1基あたり数100億円。高レベル放射性廃棄物を地中に埋めて処理するには最低
100年かかり、費用は兆円単位となり、生命に害を及ぼさなくなるまでに数万年かかる…などなど。核エネルギーは原理的な
ところで人間の手におえない存在なのだ、ということを思い知らされる資料である。
誰も放射能のことをよくわからないのだ。それなのに、それを強引に使おうとするから安全性やコストをウソでかためなけれ
ばならないのである。
だから今、自然エネルギー発電が注目され、成長分野にもなっているという認識は世界の常識となってきた。このことを
自覚し、この新産業を育てなければ日本は医療界だけでなくあらゆる分野で世界の潮流から取り残されかねないところにきて
いる、といえよう。
ところが、こうした自然エネルギー発電を阻む“政官業”体制には原発コストの「安さ」の虚構に居座っている。河野太郎
議員はこうした体制を「究極のぼったくり商法」と糾弾する。そして、これまで「日本の電力会社には消費者の力を生かす視点
がまったくなかった」(山家・エネルギー戦略研究所長)のであり、電力会社はひたすら自然エネルギーの普及が脱原発に火を
つけることを警戒してきたと指摘する。
医療の命綱をそうした虚構のなかでしかとらえることの出来ない深刻なリスクを医療界が背負っているという事実を忘れては
なるまい。
日本には、こうした邪念のハードルを越えるだけの技術はある。あとは解決しようとする意志の問題だけだ。
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