2010年1月15日
 
コラム【待合室】は、
病院の待合室という特殊な空間に身を置いて「医療」を眺めています。
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 ★『言葉』こそ治療現場で最も大切な武器である
   
 「患者を“言葉”で抱きしめる医者」でありたいと願ってやまない笠原望医師の存在を知って、昨年10月本欄でそのことに 触れた。そして年明け早々に鎌田實『言葉で治療する』(朝日新聞社)が話題を呼んでいるのを遅まきながら知った。著者の鎌田實は周知 のように『がんばらない』(集英社)などの著者であり、長野・茅野の諏訪中央病院の名誉院長である。彼は「医療者の言葉次第で治療の 日々は天国にも地獄にもなる」。だから「言葉は治療の大切な武器である」と説く。

 鎌田が提起する治療の現場での新しいコミュニケーション術には、科学万能という冷たい医療への厳しい反省がこめられている。 「先端枝術だけで病気が治ると考えるのは幻想」(中村圭子)であり、「科学が発達したといっても、人の体はわからないことだらけで ある」(帯津良一)ことは今や常識とうけとめねばならない。それに対応して医療に対する価値観も変り、「癒し」が注目されるに至った。

 鎌田實の提言はそうした癒しを求める患者に応え、それにふさわしい人間味溢れた問診や診療を展開しなければならないということである。

 だが、現実は医師と患者との間の信用が成立しておらず、そこでは例外なく医師は患者の上にいる。こうした上下関係を壊したい、と 青年医師・鎌田實は長野で闘ってきた。その姿勢は今も一貫して変らない。彼は車椅子の患者に声をかける時、いつも足を折り車椅子に 手を置いて患者と同じ目線で話しかける。その時交わされる言葉は「治療の大切な武器」になっているはずだ。


 ここでちょっと脇道にそれるが、長野といえば、「往診する木曾は夜明けの霜の底」という句を詠んだ椎名康之は信州大学医学部卒の医師だが、 こんな句もある。「大雪や温めている聴診器」。

 聴診器といえば「風邪の子にあたため当てる聴診器」という句はこれまた医師で俳人の中沢三省の作品だ。彼は新潟医大(旧制)卒で脳神経外科を専攻した。 その新潟医大の教授だった中田みづほは東大医学部卒で、「一塊の残雪を見て立話」などの名句を残している。そしてその新潟医大の学長だった高野素十は 東大医学部を出て奈良医大教授などをつとめたが、句集『初鴉』(昭和22年刊)は現代俳句の古典の一つとして高い評価をうけている。

 彼は水原秋桜子の感化で作句を始めた。その水原も東大医学部を出て昭和医大教授でもあった。息子の水原春郎も慶大医学部卒の小児科医である。ともに 俳人でもあることは言うまでもない。


 事ほど左様に、現代俳句文学の山脈(やまなみ)の一つは医師によって形成されてきたといっても過言ではない。彼らはいづれも「言葉」にこだわることで 群をぬく人たちであった。

 そんな人たちの一人である聖路加病院副院長・細谷亮は東北大医学部を出た小児がんの専門医師であるが、『生きるために、一句』(講談社)の著書がある。 彼はそのなかで、「俳句は枯れた趣味ではありません」という。患者が小児がんで死亡した時、「死にし患者の髪洗ひをり冬銀河」と詠んだが、単なる趣味では 詠めない句である。

 趣味を突き抜けた俳句にこだわることは、強烈に現世にこだわることであると断言し、「ことば」にこだわる俳句の道は即ち医師の道でもあることを、こう 表現している。「一番大事な『ことば』の役割は『こころ』を伝え運ぶことです」。つまり鎌田實の指摘する「言葉は治療の大切な武器である」ことを、 細谷亮は俳句を通じて提起しているともいえよう。そして彼は俳句の道の向こうに、こんな風景を見据えてもいる。「若い研修医が良い臨床医に育つためには (患者の)親から信頼を寄せられることこそが大切なのです」。
           〈敬称略、俳句は「昭和文学全集41」(角川書店)などから〉

 
 
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