(特集記事“街角の聴診器”の内容を紹介します)


めまいのリハビリ提唱
高齢者のふらつき、転倒予防にも

北里大学医学部 名誉教授 医学博士 徳増 厚二氏

 「這えば立て、立てば歩めの親心」。昔の人はうまいことを言ったものである。オギャーと生まれた 赤ちゃんが平衡感覚を獲得して歩き出すまでの一年余りの間、大人は自分の子供や孫の一挙手一投足に 魅了されてしまう。が、当の赤ちゃんの方は大人達がはしゃいでいるのをよそ目に必死で生きて行くた めの様々な訓練をしているのだそうだ。時には餅など背負わされたりしながら…。
 さて、まず寝返り、これが出来るようになるには首がしっかり座っていなければならない。次にハイ ハイ。そして掴まり立ちを経て記念すべき最初の第一歩が刻まれるのだが、この一連の機能の発達には 平衡感覚の獲得という、実は大変な秘密が隠されているのだという。
 「人間の平衡機能は目から入ってくる視覚、内耳の前庭反射、そして骨格筋の深部感覚反射がそれ ぞれ連携し合って成り立っているんですね。たとえば、交差点で右を見るために頭を右に振るとします。 すると、その瞬間、相対的に周囲は左に動き、それを追って反射的に視線は左に動きます。これは前庭 眼反射による代償性眼球運動であり、結果的に網膜像のブレを防ぎ目が回らないようにしているんです」
 ――はぁ、なるほど(ふだん勉強してない記者は難しい言葉にめまいを覚えるが…)。

 「人間が直立して歩けるのも、この優れた平衡機能によるものです。体が傾くと視器、内耳平衡器、 深部感覚器からの刺激を受け中枢神経系を介して反射的に骨格筋、外眼筋が都合よく働き姿勢をもとへ 戻します。平衡障害というのは受容器あるいは中枢の異常によるもので、感覚系相互の混乱でめまいが 起こります」
 ――(この時、すでに記者は不勉強によるめまいに襲われ、平衡障害であることを自覚した)。
 「赤ちゃんが生まれてすぐ立ち上がったり歩いたりすることが出来ないのは、この平衡感覚や身体を 支える筋力が不足し、まだ中枢神経が未熟なためです。だからおよそ一年間のトレーニングを積んでや っと歩き出せるようになる。つまり、平衡感覚を司る神経が発達し、訓練していくうちに体が歩くバラ ンスを覚えるんです」
 ――(ふむ、少し分かってきたぞ)。
 「そこでですね、平衡障害のリハビリテーションを今盛んにやっているんです。急性期を過ぎても 体動で誘発されるめまいやふらつきを恐れて安静状態から抜け出せない患者さんや、高齢者の直立、 歩行障害には、平衡機能の低下による歩行障害もけっして少なくないんですね。つまり、赤ちゃんが 寝返りや、ハイハイをして平衡感覚を身につけ学習していくように、加齢で衰えた平衡機能をもう一度 訓練することで取り戻すことができるんです」
 ――お年寄りの躓きや転倒事故の予防にもなるというわけですね(記者のめまいも学習で軽減してき たようだ)。(海)
   撮影・深田 高一



難発生吃音との共生生活
脱毛医療にも取り組む医師の使命感

烏山診療所理事長 神山 五郎氏

 「昭和20年2月、陸軍予科士官学校に入学。入校して一番困ったことは、報告、指示、 連絡のほとんどが早口であり、正確さを要求されることであった。吃り、しかも難発性 吃音の私には、それらは至難の業であった…」と、自らの生い立ちを詳細に綴った「勝 手人生・勝手解釈」という小冊子に記している。
 「医者になった理由ですか――。やはり、自分の“吃り”が一番の理由ですね。患者 さんには重大な問題でも、命に関わらないという理由だけで、きちんとした医療が行わ れず、医療保険の適用にもならない、積極的な研究も行われないという病気は今もたく さんあります。かつて吃音もそうでした。戦争で死ぬ運命にあった自分が生き長らえた のだから、何か自分にしかできないことをしよう。そう思ったんです」
 以来、今日まで言語障害の治療・研究にとり組んできたという。難発性吃音(なんぱ つせいきつおん)というのは、言おうと意識したその途端、重要なことであればあるほ ど、そのことばが出てこなくなるのだそうだ。
 ところが実際に話をしてみると、むしろしっかりした発音で、ゆっくりと、ことばを 正確に話す人であることがわかる。それは長年に渡る吃音との共生生活から見い出し た話し方なのだという。

 さて、読者の中にはすでに気付かれている方も多いと思うが、氏は、本紙前号(198号) の一面で「看護婦の主体性」についてコメントしてくれた、あの神山五郎氏である。
 「勝手人生・勝手解釈」という小冊子は、ある会合に出席する際、自己紹介の意味も 込めてまとめられたものだそうだが、タイトルのユニークさもさることながら、「従病 (しょうびょう)」つまり、病気を受け入れ病気と共生して生きていく自然な生き方が、 ユニークな氏の体験を通じて語られている。
 東京物理学校(現・東京理科大学)、東京歯科医学専門学校(現・東京歯科大学)、 東京大学医学部をそれぞれ卒業し、医師・歯科医師の二つのライセンスを持つ神山氏が、 現在世田谷区の烏山診療所で行っているのはなんと脱毛医療だという。氏は安全で確実な 脱毛普及のため日本医学脱毛協会を設立した。研修を終えた医師は現在80名を超えるという。
 「信じられないかも知れませんが、体毛が濃いというだけで結婚できない女性が意外に 多いんです。これも吃音と同じでしてね、命には直接関わりませんが、本気で自殺まで考えて しまう人がいる。そういう人が脱毛治療を始めて少しづつ毛が無くなっていくと、ほんとに 性格が明るくなっていくのがわかるんです。誰にも言えない悩みだからこそ、医者が親身に ならなければいけない」と、訴える姿は、戦後生まれの記者にも使命感の尊さを教えてくれた。
        (海)
  撮影・深田 高一

  


緊張和らげる謙虚な人柄
『目で見てもらう薬の説明』も好評

高倉内科クリニック院長 高倉 英典氏

緊張和らげる謙虚な人柄 “目で見てもらう薬の説明”も好評   最近の世の中は、いったいどうしたものか…などと、お嘆きの方も多いと思うが、この先生の前に座ったら、そんな気持ちはどこかに消えてしまうかも知れない。上手くは言えないが、何でこんなことまで話せるのだろうかと思うくらい気持ちが軽くなる。自分の方からしゃべってしまうのだ。  (ああ、なんてこった。相手の話を聞き出すのが仕事なのに…)  患者さんがどんな話をしたがっているのか、医者からどんな話を聞きたがっているのか――その辺の微妙な間合いを実に上手くとらえる。いわば天賦の才能を持っていると記者は思うのであった。  取材の日、約束の時間より少し前に待合室に入ると、一人の患者さんがちょうど診察室の中に入って行くところだった。午前中の診療はこの患者さんが最後とみえて、受付の看護婦さんが机の上を片づけ始める。待合室のソファーで診察が終わるのをじっと待っていると…ふと、ドアの向こうから微かに笑い声が漏れてきた。リズムがあって何かの音楽を聞いているようでもあったが、それは明らかに話し声であった。

 「いえ、いえ―、とんでもございません。私はただ、患者さんとお話しするのが好きなだけでして、学問や研究よりは患者さんと接していたいと、ずっと思っていました。親も開業医だったものですから…ハイ。自然と…開業の方向にいったわけでして、ハイ」  (うーん、ますます 手ごわい)  開業したのは平成七年の十一月。小田急線の喜多見駅前。新築されたビルの二階と三階を借りることになった。設計段階から契約していたので、患者さんの動線なども考え、いろいろと要望も聞いてもらえたという。  それまでは、隣町の成城にある民間病院に七年間勤務していたという。なんと、そこの院長先生が「開業するなら、分院のつもりで開業してもいいよ」と言ってくれたというのである。そんなわけで、開院初日から五十人以上の患者さんが来てくれ大忙し、昔からの患者さんは勿論、噂を聞きつけてやって来る患者さんも増えた。  そんな大忙しの中で患者さんにどう接しているのか訪ねてみた。  「そうですね。お薬の説明なんかはあらかじめサンプルファイルを作っておいて実際に目で見てもらうようにしています。もちろん下の薬局でも薬の説明はしてくれますが、私が出す薬をあらかじめ患者さんに見ておいてもらえば、万が一、違う別の薬を手渡せれたとしても、そこで気がつくかも知れませんから…」と引き出しから数冊のファイルを取り出した。そこには先生が処方するすべての薬剤が、カプセル、錠剤、散財ときれいに分けて張り付けてあり、疾患別、効能効果、副作用に至るまで細かく記されていた。         (海)   撮影・深田 高一

 



主婦、そして母親の目で
患者さんの心も診る市井の医

土居皮膚科医院院長 土居 敦子さん

 この時期、夕方の五時半ともなれば辺りはもう真っ暗だ。住宅街の電柱に書いてある住所と看板をたよりに探し歩くこと十五分。土居皮膚科医院はまさに世田谷・梅ヶ丘の住宅の中にあった。
 「こんなところに医院があるなんてだれも思いませんよね。実はここ、もともと主人の両親の家で、昔は平屋建ての普通の民家だったんです。だからこんなに駅から離れているうえに奥まっていて、夜はとくに分かりにくいんですよね…。病院やるより質屋さんやった方がいいんじゃないかって、そんな環境ですものね(笑)」

 明るく、ゆったりとした独特の話し方には、周囲をホワーっと包み込んでしまうような不思議な魅力がある。
 開業して十二年。診療時間帯が昼間だけということもあってか、赤ちゃん連れやお年寄りの患者さんが多いという。診療日は週四日間だけ。しかも、そのうち二日は午前中のみという。開業のきっかけは、大学病院に勤務していた頃、あまりの忙さから、迂闊にも風邪をひいた長女の手当てが遅れ肺炎にしてしまったことにある。この時ほど医師としての仕事と、家事、育児の両立の難しさを痛感したことはないという。
 「人生って、その時その時で優先順位みたいなものがあるじゃないですか。とにかく勉強することが優先したり、今度は育児がなによりも優先したりって…。そんなことがあって家庭に入る決心をしたんです。けれど、それでもやっぱり仕事は続けたくって、なんとしてもやめたくなかったのね(笑)。それで家を建て替える時、いつかここで開業できるようにって、一階にこの診察室のスペースを作ってもらったんです。主人が脳外科医で病院に勤務しているからこんな時間帯でやってられますけど、そうでなかったらやっぱり大変だと思いますね。それに最初はこんな場所じゃムリかもねっていってたんです」
 ところが開業して一番最初の患者さんは、なんと配ったチラシを片手に握りしめてやって来たおばあさん。「あの先生はよーく話を聞いてくれる」っていうんでお友達を連れてくる患者さんまで出てきて、それなりに患者さんは増えだしたそうだ。
 「私、こんな話し方するでしょ。だから患者さんも安心するんですかね…。ウオの目だけ削りに来るおばあさんとか、爪が切れないから切ってほしいっていう患者さんまで来るんですよ。皮膚科だけじゃなくて、よそでもらった薬の相談とか、まるで身の上相談のサロンみたいなことになったりすることもあるんです」そんな患者さんをこれからも大切にして少しずつマイペースでやっていきたいと笑顔で語ってくれた。
 皮膚科を専攻したのは内科などと違って、「目で見てすぐ判るから」というが、どっこい患者さんの心の中をしっかり診ている市井の医なのだ。


大学病院並の診療科目で
専門医の開業支える仲間づくり

神津内科クリニック 神津 仁氏

 診察室の机の上にあるパソコンには毎日たくさんの電子メールが届く。
 “こんにちわ神津先生、先日のお話は大変参考になりました。実は先生に診ていただきたい患者さんがいるのですが…”といった具合に患者さんの紹介も多いという。実は神津先生、本紙三面でもお馴染みのインターネットにホームページをもつ「世田谷区若手医師の会」の世話人をしているのだ。

 現在までの登録会員は五十六名。呼吸器系やアレルギーの専門医、血管外科、口腔外科、脳神経外科から産婦人科、皮膚科、糖尿病の専門医など、その幅の広さと層の厚さは大学病院の窓口さながらである。そして、お互い専門分野のノウハウを開陳して日々の診療に役立てているのだという。だから「これはちょっと、自分の専門ではないな…」と思ったら、すぐ仲間に連絡してアドバイスを求めたり、場合によっては紹介状を書いて診てもらうことがいくらでもできる。それが結果的には患者サービスであり、より高度で安全な医療を患者さんに提供することにつながるのだという。開業医は自分の診療技術や専門知識をあまり同業者に開かさない傾向があるというが、それは無意味なことと神津医師はいう。

 「我々の会はどんどん教えちゃうし、分からないことや知りたいこともどんどん聞き出してしまいます。でも、そうして仲間意識が生まれ一つのネットワークが出来上がると、自分の得意な分野の患者さんが逆に紹介されてくるようになって、むしろ患者さんが増える。自分の専門外の患者さんが受診してきても、自信を持って仲間のところに紹介することが出来ます」
 神津医師の専門は神経内科だが、神経内科の専門医が開業すること自体画期的なことなのだという。それを可能にしたのもインターネットを通じてお互いに情報交換し、定期的な勉強会に参加することで育った互いの信頼関係が、大きく影響しているという。
 「二十一世紀は脳の時代といわれていますが、人間の情動を支配するのは脳であって、そのメカニズムは脳内で産生される神経伝達物質や各種のホルモンの働きが大きく関わっていることが次第に解明されてきたわけです。神経内科を専門に選んだのもそうしたことからだったんです」

 ところが、この神経内科という分野は患者の側からみると、いまひとつ分かりにくいところがある。
 「神経内科というのは、神経系に起こる様々な疾患を内科的に治療する分野なんです。つまり、脳、脊髄、末梢神経、自律神経、またはそれらに支配される筋疾患も含めて総体的に治療する分野です。たとえば、頭痛やめまい、歩行障害などの症状から、それがどこから来ているのかということを鑑別診断するのは得意とする分野です」と、記者にも分かり易く説明してくれた。
(C) IRYOU SHIMPO 1998


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世田谷区若手医師の会 http://www.sypis.jp/


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